作者:上村崇 フリーランスのIT系エンジニア
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【書評】知の衰退からいかに脱出するか?


大前研一氏の「知の衰退からいかに脱出するか?」を読みました。
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もうね、読んだ後振り返ってみると、本に付箋貼りまくってました。最近いろいろな本を読むようにしていますが、
この本は大ヒットでした。
すべての日本人、特に若い世代が読むべき本なんじゃないかと思います。
本の値段1600円以上の価値があると思います。

普通の自己啓発本だと思っていたのですが、それだけではなく大前流のグローバルな視点から、日本の将来を危惧する
メッセージが痛いほど伝わってきました。

以下のブログが私の感想と近いです。
http://www.ikomaru.com/aki_note/?p=2817

「日本は今後衰退の一途を辿る」というのは、知識人の間では定説になっています。
経済学教授の池田氏然り。

日本はバブル崩壊までは向上心もあったし、技術力もあり経済大国を標榜するにふさわしい上昇力があったと言います。
それが、バブル崩壊後の失われた15年の間に、暗い話題が支配するようになり、国民は無気力になったと。
バブル崩壊後の世界しかほとんど知らない30歳前の世代は、暗い話題が先行する社会不安や、頼りない政治のなか、それが当たり前の
世の中と思いこんでしまい視野狭窄に陥ってしまっています。
私も、34という歳ですがバブル崩壊以前のことを詳しく知らないので、どちらかというと崩壊後の世代に入るのかなと思っています。

そして日本全体が「ものを考えなくなった」ということ。そして物を考えない結果、文句も言わなくなったこと。
銀行の超低金利が続いても、国民は預金を引き揚げることもせずじっとそのまま耐えています。年金のシステムが破たんすることが目に見えているのに
文句を言わない。あらゆることに対して「考える」ことをやめてしまった結果、思考停止に陥り、眼の前の惨状を受け入れていくことしか出来ない。
そしてその解決策をもたないまま、日本は沈んでいくということでしょう。
インターネットで検索すれば、知識はなんでも出てくるこの時代、人間に求められるのは「知識」ではありません。それをどう生かすかを
「考える」力だと大前氏は繰り返し述べています。
クイズ番組のように「○×」で決まるような知識ではなく、そして偏差値で規定されるようなものでもなく、答えのない時代に自ら答えを
考えて探していける人材こそ、これからは求められます。そして集団としてそれが最大限発揮できる国家こそが、これからの勝ち組だということです。

以下、長くなりますが印象に残ったところをかたっぱしから引用。

もちろん、「知の衰退」が見られるのは、子供たちや若者たちばかりではない。大人たちもまた信じがたき行動をするようになった。
たとえば、テレビ番組で「納豆がダイエットにいい」と紹介されると、何も考えずに買い占めに走り、翌日には日本中のスーパーから納豆が消えてしまう。
納豆の次はバナナだ。
また、中国産の冷凍ギョーザから毒性農薬が検出されると、ろくに検証もせずに中国産食材がスーパーや食卓から消えてしまう。
こうした現象については、メディア、とくにテレビがいたずらに煽るから国民がそうした行動に走るという見方もあろう。だが、根本は人々がものごとを”自分で考えない”からではないのか。
そのテレビは、最近では「クイズ番組」と「お笑い番組」ばかりを量産し、視聴者に”ものを考える”ことすら放棄させてしまっているようだ。

サイバー社会には「できるヤツ」と「できないヤツ」の2種類しか存在しない。そして現在、両者の格差は、本当の格差社会とはこのことではないかと思えるほどに急速に開いている。
すなわち、できるヤツに富は集まり、できないヤツは負け続ける。
まずは、このことに恐怖を感じてもらいたいと思う。

ともかく、日本人は”考えない”。考えようとしなくなり、すべてを丸投げする傾向が強くなった。
資産運用はプロに丸投げ。子供の教育は学校に丸投げ。政治は政治家に丸投げ。食の安全は企業と官庁に丸投げ。ようするに「丸投げをする」という意思決定だけをする。
これが、現在の日本人の共通したメンタリティではないだろうか?

偏差値の登場によって、個人の能力は数値で表されるようになった。「君の偏差値はいくつ」と上から言われることになった。
しかし、この政策は、個人個人から、意欲というもの、もっと言えばアンビションを奪ってしまったのである。
いまの社会の中心にいる、特に40代を中心とした偏差値世代の人間と話すといつも感じるのだが、彼らの多くは非常に従順で小市民的である。
私が「論理的思考を駆使して、いまの社会に溢れている矛盾を見抜け」というような話をすると、彼らはこう反論する。
「大前さんはそう言いますけど、いちばん頭のいい(=偏差値の高い)やつらが役所に行っているわけですから。あいつら、そんなことくらい分かっているはずです」
これは偏差値世代共通の”思い込み”である。子供のころから「偏差値が高い=頭がいい」と植えつけられているので、そこから抜け出せないのだ。
したがって彼らは、危機感など持ちようがない。何ごとも”偏差値の高い頭のいい”人間が解決してくれるので、自分たちは考えなくていい。彼らに従えばいいということなのである。
このようなことをみんながみんな「前提」としている社会がいまの日本だとしたら、集団知なき社会が出来あがってしまったのも当然と言わねばならない。

私が考える21世紀の教育の目的は、どんなに新興経済国や途上国が追い上げてきても、日本がメシを食っていける人材、言い換えれば、「答えがない世界」で果敢にチャレンジして生き残れる人材を生み出すことである。これは「世界のどこに出しても活躍できる」人材だと言い換えても良い。
その人材とは、この答えなき世界で答えを見つけられる”考える”力を持った「異才」である。ユニークな人材と言ってもいい。
政治にせよ経済にせよ、「答え」のない世界で解を見出せる、突出した発想と能力を持った異色の人材が日本には決定的に不足しているのだ。

日本の教育は、このまま文科省まかせきりでいけば、学力低下以上のメルトダウンを起こすのは間違いない。昔に戻せば、さらにひどいことになるだろう。
世界の人材を見てきた私から言えば、今この時点でも、日本の大学卒の人材、とくに日本の得意分野であるはずの理工系人材は世界からどんどん遅れ出している。その結果、日本のメーカーが、中国やインド、ベトナムで理系人材を求めてリクルート活動をしている有様だ。
たとえばNECは、北京の精華大学に援助して研究室を設け、そこの人材を確保しようとしている。

いまの世界では英語がコミュニケーションの共通言語である。というより標準語であり、この標準語ができないかぎり、ビジネスも学問も政治も外交もできない。したがって、母国語はもちろんだが、標準語ができない世代を生み出すことは、彼らに初めからハンデを与えているのと同じことになる。

「メシを食っていく手段」には、”三種の神器”がある。それは、「英語」「ファイナンス」「IT」で、この3つは必須項目である。この”三種の神器”を学生は大学時代にピカピカに磨いておかねばならないということである。

いまの日本人はバカである。集団としてはこれほど知恵のない人々はいない。となれば、そこに付け込もうとする人々が必ずいるはずである。
低IQ社会ほど為政者にとってありがたいものはないし、高IQの人々にとって低IQ人間ほど”いいカモ”はいない。

いま国民がいちばんわかっていないのが、日本そのものがリスクであるということだ。これは、日本のグローバル企業の行動を見れば即座に理解できることである。
彼らは少しでも有利な生産拠点、労働力、市場を求めて、いとも簡単に国境を越えて行動している。ボーダレスエコノミーでは、自国にこだわること自体がリスクだからだ。

私が「中国には学ぶことがたくさんある」と説明すると、たいていの人間が
「大前さんは中国を褒めすぎではないですか」「中国ってそれほどいい国ですか」「中国ってひどい国ですよ」と言ってくる。
私に言わせると、中国の問題点を挙げれば、何時間でも話せる。政治の汚職、賄賂の横行、環境破壊、ビジネス慣行の前近代性、海賊版の横行、新労働法、偽装食品・・・それこそ、いくらでも話せる。
しかし、そんなことを話しても、あるいは本に書いてもほとんど意味はない。必要なのは、この国から自分にとってプラスとなる「学べるところは何か」ということだけである。
すべての国から学ぶことがある。すべての企業から学ぶことがある。すべての人から学ぶことがある、というのが私の基本的な考え方だ。

国家論的観点から言えば、いまの日本は「アジアの将来」に対してどう対処していくかを早急に決めなければならない。
この国には、中国、韓国をいまだに蔑視するような狭量な人々が多い。さらに、政治家やトップの人間たちに、アジアの一員としてアジアの未来を見据えようという考えがない。
だから私は、いまアジア各地を巡ってみて、日本の未来に一種の恐ろしさを感じることがある。このまま危機が来ても、もしや目覚めず、特異なメンタリティも発揮されなかったら、どうなるのか?
アジアを見渡せば、日本の危機はもうすでに目に見えるようになっている。モノづくりの中心地は中国に移り、金融の中心地は香港とシンガポールとなり、IT産業の中心地はインドに移ってしまっているからだ。となると、いったい、日本はなんの中心なのだろうか?

日本人は、何かを知ろう、何かを考えようという「知識欲」、あるいは「興味」というものさえ失っているように感じられることがよくある。私が出すアイデアにかぎらず、新しい情報、新しいトピックにまったく無関心ということは、ようするに、飢餓感、ハングリーさがまったくないということだ。
人間の行動のすべてが、なんらかの「欲」に基づくとすれば、これは大変な事態なのではないか?
今の日本人は、自分たちがどこにいるのか、その立ち位置すらわからなくなっている。その結果、この国には危機感というものがない。危機感が国民に共有されないため、いまのところ、誰が何を言っても徒労に終わるのだ。

いまの日本には、リーダーもいなければ、ありもしない「小さな幸せ」で満足する世代が大量にいる。
とすれば、3年以内に訪れる「日中逆転」のとき(おそらく2010年~2011年)に、日本人は完全な敗北主義に陥ってしまうのではないか。その次に(2025年くらいには)インドにも抜かれ、もうかなわないと、グローバル・レースを完全に諦めてしまうのではないか。

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